院長コラム

2008年02月01日院長コラム

医師になって20年目・・・

今年は、私が医師になって、20年目の年です。自分が生きているほぼ半分の歳月、医師をやっているなんて!ちょっと信じられない感じがします。私が医師になりたての時に診た赤ちゃん達が、もう成人するのですからね。長い年月のはずなのですが・・・・。

この20年間、いろいろなことがありました。中でも印象深い一年が、医師になって2年目で出張した都立墨東病院の一年間でした。墨東病院は、救急患者さんが多く、重症な子どもがたくさん入院していました。

ずっと長く入院していた、脳性まひのY君。点滴が難しく、点滴が漏れると指先や頭などに血管をみつけて、苦労して入れるのですが、当直の合間で点滴が漏れてしまったりすると、夜中の2時3時まで格闘することもありました。体調がよく、機嫌がよいときには、にまーっとした笑いを浮かべて、お母さんや私達を喜ばせてくれました。肝炎で亡くなってしまいました。彼がちょうど、亡くなるころ、息子が私のお腹に宿っていました。息子は、彼の生まれ変わりのような気がしています。呼吸をサポートするバッグを押しながら彼を看取った一晩は忘れられません。

先天性心疾患で、無酸素発作を繰り返し、入院しては呼吸器につながれていたIちゃん。2歳近いのに6kgくらいしかなく、唇はいつも真っ黒でした。でも、呼吸器がはずれると、大きなお口をあけて、声にならない声でよく笑いました。心不全と肺炎の管理がつかず、私が翌年転勤してしばらくして、亡くなったという知らせを受けました。外勤先から帰る特急電車の中だったのですが、周りの人に気づかれないようにそっと泣きました。

一晩のうちに、双子の赤ちゃんの分娩と腸重積の子と、なんていう、大変な患者さんばかりの当直があった晩もありました。腸重積の男の子は、高圧浣腸という治療をやって、即座に元気になりました。来院したときには、顔面蒼白で泣く元気もないほどでしたが、処置をしていた部屋から出たときには、顔色もピンク色になり、お話をするほどご機嫌で元気になっており、お母さんに大変感謝されました。

その後8年間過ごした帝京大市原病院でも、たくさんの子ども達と出会い、様々な経験をさせてもらいました。様々な経験と思い出の上に、今の医師としての私がいます。楽しい思い出ばかりではなかった。やはり、医師という職業上、悲しい思い出も多いです。しかし、私が出会ったたくさんの子ども達に鍛えられ、支えられ、育てられて、今の医師としての私がいます。深く感謝したいです。

これからも、子ども達の健やかな成長のために、一生懸命仕事をしていきます。